武庫之荘の名前の由来

「武庫(むこ)」は「向こう」からきており、「大和」や「難波」から見て「ちぬの海」(大阪湾)の「向こうに見える山」という意味から、名付けられたのではないか、と言われています。
 現在でも「六甲山」の西南に広がる平野に目を向けると、宝塚歌劇場や宝塚温泉を横切り、甲子園球場の東を流れ大阪湾に注ぐ「武庫川(むこがわ)」があります。阪急神戸線に「武庫之荘(むこのそう)」という駅もあります。西宮市や芦屋市は市制がひかれる前までは「武庫郡(むこぐん)」と呼ばれていました。「向こう」からでた「武庫(むこ)」が、この地方の名称として、最も古く且つ比較的一般に使われていたものと思われます。

阪急電車の武庫之荘駅、もともとは豊かな農地が広がる武庫ノ庄村に、イギリス田園都市を作ろうと阪急電鉄の創始者小林一三が住宅開発に乗り出したことから始まりました。阪急武庫之荘駅が完成したのは昭和13年のことでした。この時、小林は「武庫ノ庄」から「武庫之荘」に漢字を改めました。それは伝統を感じさせる「之」と荘園を連想させる「荘」の文字により、まちのブランドというものを強く意識したからなのです。

もっと豆知識!!~尼崎市の市外局番の秘密?!~

尼崎の市外局番が大阪と同じ06で始まるようになったのは、尼崎紡績(現:ユニチカ)が関わっています。尼崎紡績では、事業を拡大する際、尼崎にある工場と大阪市内の営業所を結ぶ直通電話が必要になりました。そこで、明治29年、尼崎~大阪間13キロメートルに自社で電話線を架設して、大阪電話交換局館内の特別加入区域として認められました。これが、尼崎が大阪局番(06)に編入されるようになった由来です。